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更新日付:2016年6月23日 / ページ番号:C042375

1964年東京オリンピックとさいたま市(その1、大宮蹴球場)

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1 大宮蹴球場(現:NACK5スタジアム大宮)で実施されたサッカー競技

2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピック競技大会では、「さいたまスーパーアリーナ」(中央区)でバスケットボール、「埼玉スタジアム2○○2」(緑区)でサッカーの実施が予定されていますが、1964年に開催された東京オリンピックにおいても市内(旧大宮市)でサッカー競技の一部が実施されました。
ここでは、1964年大会開催時における市内の様子を、関連書籍や市に残されている古写真などをもとにしてご紹介します。

2 1964年大会における試合の概要

(1)開催の経緯
1964年大会でのサッカー競技は、現在建替え工事中の国立競技場のほか4会場に分散し開催されました。その1つが「大宮蹴球場」(現:NACK5スタジアム大宮)です。
1961年2月8日に開催された組織委員会内における会議で、サッカー競技は国立競技場、秩父宮ラグビー場、駒沢陸上競技場の3会場で開催することが決まりました。
しかし、試合数や芝生の管理の都合上、3会場では試合の消化ができないことから、1963年2月18日に大宮公園と横浜市三ツ沢公園内の2つの蹴球場での実施が追加決定され、本市での大会開催が実現されました。

(2)大宮蹴球場の概要
大会開催の決定を受け、当時大宮蹴球場を管理していた埼玉県は、大宮公園内にあった従来の競技場を国際規格のグラウンドとして整備するため拡張工事を行いました。工事の概要は次のとおりです。
・観客席 14,392席(仮設含む)
・競技場 10,400平米:130m×80m
・工 期 1963年10月から1964年9月
・総工費 約2億4000万円(3分の1が国庫補助)

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【大会時の大宮蹴球場の外観(左)・当時の面影が残る現在の外観(右)】
 

(3)実施された試合 
大宮蹴球場では、次の5試合が開催されました。また、各日とも午後2時頃から試合が開催され、10月18日には準々決勝も行われたようです。試合方法は、現在と同様に参加チームをグループ(当時はAからDグループの4つ)に分けてリーグ戦を行い、各グループの上位2チームが決勝トーナメントに進みメダルを争いました。
日本はDグループに属し、1勝1敗、5得点、5失点という成績を残し、グループ内で3か国中2位となったことから決勝トーナメントへの出場を果たしました。しかしながら、準々決勝で対戦したチェコスロバキアに4対0で敗れるという結果に終わりました。
なお、1964年大会のサッカー競技で金メダルを獲得したのは「ハンガリー」、銀メダルは日本と対戦した「チェコスロバキア」、銅メダルは「ドイツ」でした。
また、入場券(チケット)は、メインスタンドが一千円、バックスタンドが五百円だったようです。

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日にち 10月11日 10月12日 10月13日 10月14日 10月15日 10月16日 10月18日
組合せ

メキシコ

ルーマニア

チェコ

韓国

北朝鮮

ハンガリー

イタリア

ガーナ

イラン

ルーマニア

チェコ

ブラジル

アラブ連合

ガーナ

※北朝鮮、イタリアは不参加のため、試合は実施されていない

大宮蹴球場で実施された試合の写真を見てもわかるとおり、多くの観戦客によって競技場が埋め尽くされています。5試合が行われた結果、入場者数は合計で58,453人にのぼり、大変多くの方が試合の観戦に訪れました。
試合が開始される前後の競技場周辺は、多くの観戦客や、市民などの往来により賑わっていたのではないでしょうか。

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【大宮蹴球場における試合の様子】 

3 当時の試合を観戦した方の声

1964年大会は、今から50年以上も昔の出来事となり、当時の様子を鮮明に記憶しているという方は少ないと思います。しかし、「断片的」な記憶ということであれば、お持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
市では、当時の試合の様子を憶えている方に話を聞いてみました。(あくまで、個人的な感想です。)

「当時は小学校5年生で、学校から皆で歩いて大宮蹴球場まで行き、試合を観戦しました。全てに観客席が設置されていたわけではなく、私は芝生の上に座って観戦した記憶があります。」

「授業の一環で大宮蹴球場に行き試合を見学しました。記憶だと近隣の小学校4年生から6年生の皆で出かけ、芝生の張られたスタンドで応援したとおもいます。」

「当時は中学校の教員をしており、10クラスの生徒を引き連れてサッカー会場に行き、応援しました。また各教室に電気屋からテレビを借りてきて、オリンピックの中継を放送し、応援したことを覚えています。」

「当時はサッカーより野球が人気スポーツで、「巨人、大鵬、卵焼き」などと言われていたほどでした。1964年大会の次に開催されたメキシコ大会では、日本がサッカーで銅メダルを獲得し、その影響でサッカーが徐々に広まったのではないでしょうか。」

oomiya_soccer_stadium1964-6 oomiya_soccer_stadium1964-4             【大宮蹴球場と大宮公園(左)・大会時の大宮駅東口(右)】  

4 1964年大会の開催を今に伝えるもの

1964年大会の開催をうかがい知ることができるものが、現在もNACK5スタジアム大宮に残されています。

(1)銘板(非公開)
銘板は、スタジアム内の会議室に保管されているもので、一般に公開されているものではありませんが、ここでサッカー競技が開催されたことを示す貴重なものといえるのではないでしょうか。


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(2)記念モニュメント
1964年大会における、サッカーの競技シンボルを模り川口の鋳物で制作したとされる記念モニュメントは、バックスタンド側のGate1及びGate3を入った裏側にそれぞれに設置されております。スタジアムを訪れたことがある方の中には、見覚えがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
こちらのモニュメントは公開されておりますので、試合の観戦でスタジアムを訪れた際にはぜひご覧になってください。


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5その他 

【参考文献】
・『第十八回オリンピック競技大会公式報告書 上・下』(オリンピック東京大会組織委員会)
・『続大宮市史1 現代資料編』(大宮市役所)
【写真出典】
・さいたま市総務局総務部総務課アーカイブズセンター
 (無断での複製及び転載はご遠慮願います)

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都市戦略本部/オリンピック・パラリンピック部 
電話番号:048-829-1023 ファックス:048-829-1985

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